森村泰昌展
森村泰昌展~なにものかへのレクイエム~
戦後の頂上の芸術
まだまだやり残したことが多いのですが、今日行かないと見逃しそうだったので、かなり無理して行ってきました。
森村泰昌展、あのなりきり写真で知ってる方も多いでしょう。今の現代美術を牽引する作家の大規模な個展です。いや、それにしても昨日の寒さでどうなるかと思いましたが、なんとか雪も降らずに、予定通りに行けました。久々に広島の友人たちと合流して、わいわいと鑑賞。
「なりきる」ことによって、その時代の空気というか、実在を体感するという「活動」だと思います。「自分」という体を十二分に使った表現で、ああ、ここまでしていいんだなと思わせる力業を感じました。
若干消化不良気味ながら、面白かったです。この喉に引っかかった骨のような感覚が、私にとっての現代美術のものさしなんです(笑)美術館の人がいろいろ解説を加えてくださったので(昭和史を再現する意味とか)、大分かかったような気になりましたが、まだまだ咀嚼できてません~
常設展にも大きな「裸のマハ」のフォトモンタージュがあったそうですが、時間切れで見られず残念。この後B先生とR子さんと合流。ご飯食べて丸善JUNKでいろいろ物色。ああ、1日中いたいくらいの空間でした!
以下いろいろ森村展の感想などをメモ。
4章からなる展覧会。
「第1章 烈火の季節」
作家にとっての大きな核である「昭和」を切り取った作品です。有名な事件写真をそのまま自分で再現しています。私はここのコーナーが一番印象に残っています。「ベトコンの処刑」とか、教科書で見たことあったけど、ピューリッツアー賞を受賞して、アメリカがベトナム戦争に介入する大きな要因になったそうで、写真の力を改めて知ることができました。作品は背景が大阪になっているのも面白かったです。浅沼稲次郎暗殺事件が日本人初のピューリッツアー賞というのも知りませんで、色々勉強になりました。そして映像作品は「三島事件」。森村氏は三島に大きな影響を受けたそうで、「静聴せよ!」という叫びは、現代のゲイジュツカに向けられていて、いろいろ考えさせられました。ただ、一瞬で見た者の思考・判断を左右する写真という芸術の力を、すごく感じた展示でした。
「第2章 荒ぶる神々の黄昏」
革命家(?)に焦点を当てたナリキリポートレート集。この中ではレーニンの赤の広場での演出が映像作品で、聴衆がみんな日本人(たぶん大阪の人)というのが面白かった。もうちょっとロシア革命に対する知識があればもっと面白かった作品でした。赤の広場はどこにでもあるのか、とも思いました。
「第3章 想像の劇場」
芸術家による芸術家へのナリキリポートレート。デュシャンっていろいろ変な活動をしてたんだなーと。知らない作家さんもいましたが、ここに「手塚治虫先生」がいらっしゃったのが嬉しかったです。
映画「独裁者」は、チャップリンの映画に対するパロディのパロディ。私は元ネタを見たことないんですが、ヒトラーの狂気じみた演説はこんな感じだったのかしらと(よく聴くとすごいこと言ってますが、自信満々に言われるとねえ)ここのロケ地がどこかすごい気になる。あの日本神話の天井画は一体どこの建物なのかしら。
「第4章 1945 戦場の頂上の旗」
昭和天皇マッカーサー会見写真はこのコーナーに(展示が外で面白かったです)これはNHKの日曜美術館で見ていたから、結構背景がわかって面白かったです。映像作品「硫黄島の星条旗掲揚」は、イマジネーションがすごかったけど、長かったので、散漫になった印象。映像って難しいなあと思った作品。こうして見ると、静止画の迫力が際だった印象です。写真の可能性とか、また平面の可能性とかも考えさせられて面白かったです。
自分というものをいかに表現していくかが、現代美術の重要なテーマの一つですが、その可能性を体現している方だなあと思いました。勉強になりました。
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